
イスラエル兵に銃を向けられるオマール
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映画のタイトルでもある「オマールの壁」とは、イスラエルにある分離壁。スタッフもすべてパレスチナ人のこのパレスチナ映画は、日本では2016年に公開されました。
第66回カンヌ国際映画祭、ある視点部門で特別審査員賞受賞作品です。
ヨルダン・イスラエル旅行に行った時の現地の写真も交えながら、映画の背景となっているパレスチナ問題の一番基礎的な部分をわかりやすく解説します。
あらすじ

壁を乗り越えるオマール
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この映画の舞台は、イスラエルによる占領下のパレスチナ。
主人公のパン職人オマールは、分離壁を乗り越えて恋人ナディアの元に通っていました。パレスチナ自治区は、イスラエルによる占領が長く続いているためストレスの高い生活が続いています。
ある日、イスラエル兵の殺害容疑でイスラエル秘密警察に捕らえられてしまったオマール。イスラエル軍により拷問を受けるシーンは目をそむけたくなるほど残虐です。
イスラエルのスパイになることを条件に、解放をささやきかけるラミ。たくみにオマールを操ろうとします。

オマールの恋人ナディア
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一方恋人ナディアは、オマールが何も話してくれないことに不安を感じる日々。ナディアのことが好きなアムジャドとの展開も気になりますね。
予告編の動画です。
映画を理解するためにパレスチナ問題の概要を知ろう
パレスチナ問題の歴史は2000年ほど前から。大変長くて複雑なこの問題については、多くの専門書や専門サイトがあります。
「オマールの壁」は政治的な要素の強い映画ではありませんが、パレスチナの抱える問題について少しだけ知っていた方がより映画を楽しめるはずです。
ここでは映画の背景を理解するために、きわめて簡単にわかりやすく触れてみます。
ユダヤ人にとってのパレスチナ
現在のイスラエルがある場所については、旧約聖書に「神が与えた約束の地」と書かれています。ユダヤ人は今から2000年ほど前にローマ帝国に王国を滅ぼされて以来、世界中に散らばり迫害を受けてきました。
自分たちの土地に戻って、イスラエルを建国したのは1948年のこと。2000年もかかって、やっと自分たちの国を持てたわけです。
その記念日は毎年盛大にお祝いです。明け方近くまで大音量の音楽。踊る若者たち。当日エルサレムにいた私は彼らの喜びを肌で感じ取ることができました。
アラブの人々にとってのパレスチナ

パレスチナの人々
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一方アラブの人たちにとっては、異教徒がパレスチナに勝手にやって来てイスラエルを作ったことになります。
当然ながらイスラエルは周辺のアラブ諸国と対立して、中東戦争が繰り返されました。そして多くのパレスチナ人が難民となりました。
パレスチナ自治区
イスラエルの中でも「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」は、「パレスチナ自治区」とされていて「パレスチナ自治政府」があります。
自治政府とは言え、周囲をイスラエル軍に完全に包囲され不自由な生活。失業率も大変高く、電気・水道も制限されています。
また、多くのパレスチナ難民が苦しい生活を続けていて、解決策を見出すことのできない状況です。
そんなパレスチナ自治区と分離壁を越えた向こうの世界が、この映画の舞台です。
パレスチナ自治区にある分離壁
この映画のタイトルにもなっている「分離壁」は、イスラエル政府が2002年から築いてきたもの。ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住区との境界すぐ外側にあり、映画に登場する壁は高さ8mのコンクリート壁の部分です。

分離壁のメッセージ
分離壁には上の写真のように、ダークなユーモアあふれる絵やメッセージが見られます。イギリス人のストリートアーティストであるバンクシーがここを訪れて、絵を描き残して行ったことでも有名です。
さて、2ヶ月ほど前にそこを訪れたことのある私にとっては、「え?あの壁を乗り越えるの?」と想像もできないような話。そのくらい高く立ちはだかっていて、町を完全に2つに分離している壁です。
イスラエル政府の言い分は、分離壁はパレスチナ人による自爆テロ防止のために建設したと。実際に分離壁の建築により、自爆テロ事件の数は大幅に減少したというデータがあります。
ただ、分離壁はグリーンライン(1949年停戦ライン)よりパレスチナの内側に入り込んでいることや、パレスチナ人の生活を分断していることも事実。
国際的にも、イスラエルによるパレスチナ人への不当な差別だと非難されています。
イスラエル旅行で出会った普通の人々
私がパレスチナについて考える時に、政治的にどちらを支持するという考えはありません。
正直なところ、なぜ人間はこうやって争いを続けるのだろうという思いです。
双方の言い分があるとは言え、世界は広いのに、どうしてこの狭いこの地域を取り合うの?と子供の感想のようになってしまいます。
イスラエルには紛争地域のイメージがあるかと思いますが、エルサレムの旧市街は観光客も多く、身の危険を感じるほどのことはありません。
ユダヤ人が多く住む地域やアラブ人が多く住む地域といった住み分けのようなものはあるけれど、想像以上に彼らが普通に同じ空間にいることに驚きました。
その時は平穏に見えても、どんな銃撃戦が起こるかわからない、危ういバランスなのかもしれません。

エルサレム旧市街のパレスチナ人地域
上の写真はエルサレムの旧市街で撮りました。
アラブ人の地域ではイスラエル人にゴミを投げ込まれるのを防ぐために、道路の上の方に網を張ってあるところもありました。水や電気を制限されるなど、共存していると思える地域でさえ実は様々なことが行われているのです。
イスラエルの普通の人たち

普通のバスに乗って移動するイスラエル兵
実際に現地を旅して、建国の日をお祝いするイスラエル人たちの姿を見て、その気持ちが理解できないわけではありませんでした。
18歳になると男女ともに国防軍への徴兵制度があるイスラエル。男子は3年、女子は2年の兵役義務があります。
国中のあちこちで軍服姿の若者を見かけましたが、まだ笑顔が可愛い幼く見える子もいました。久しぶりに彼女と会えたのか、二人とも軍服なのに楽しそうに手をつないで歩く姿は日本の若い子たちと同じです。
徴兵制のない日本では、18歳で軍隊に入るような人生は多くの人が考えられないはずです。

嘆きの壁
「嘆きの壁」で懸命に祈るユダヤ人の姿を見ると、長い迫害の歴史を思い、胸がいっぱいになりました。
そういう苦しい経験をしてきた民族だからこそ、他の民族にそんな思いをさせて欲しくはないものです。
パレスチナの普通の人たち
一方パレスチナ人は、多くの制約を受けながらも辛抱強く生活しているという印象を受けました。
私は日本人ですので、ヨルダンからイスラエルへ陸路で国境を超えるのも簡単なチェックでした。
パレスチナ自治区からエルサレムにバスで移動した時も、途中でバスから降ろされて書類をチェックされるのはパレスチナ人のみ。私たちは声さえかけられず、バスの中で待っていました。
パレスチナ人にとっては、チェックされるとは言え、そうして行き来できる許可証を持っているだけでもいい方なんでしょうね。
ヨルダンで出会った人はイスラム教徒だけれど、隣国のイスラエルにある聖地には行くことができないと言っていました。

道端のかまどで私たちのために料理をするパレスチナ人
ちょうどラマダンの時期にあたり、日中は食べ物も飲み物も口にしない日々。その時期の日中は飲食店のほとんどが閉まっています。
自分たちは食べないのに、観光客である私たちに美味しい食事を作ってくれる人たちにも会えました。
映画「オマールの壁」はおすすめ!

戦いに備えて訓練をするオマールと仲間
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どんな国であっても戦場であっても難民キャンプであっても、人間の本質的な部分は変わらないように思えます。
人は生まれる国を選ぶことはできません。どんな国であっても、家族があり友達がいて、そして人を好きになるのは自然なこと。
人間の本質を描いた恋愛映画としておすすめします。
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